2011年5月8日日曜日

審美眼

 by:chantrybee


審美眼という言葉が最近キーワードになっている。

審美眼とは「美を的確に見極める能力」のこと。
何故この言葉が最近のキーワードかというと、大尊敬する荒木 飛呂彦先生のインタビューの中で以下の様なコメントを読んで深く感動したからだ。

以下、荒木先生のコメント
僕は『審美眼』で人は行動すべきだと思っているんですね。「美しさをどう判断するか」っていうか。自分が行っている行動は美しいのか、そうでないのか。ここで言う「美しい」っていうのは単に外見とかの問題じゃなくて、しっくりなじんでるかどうか、納得できるものかどうかということ。
勉強って、その『審美眼』を培うためのものだと思うんですよ。
フリーペーパー「NEWTRAL」より


▼プロの人たちは自分独自の「審美眼」を持っている。
色々な人たちに会ったり、本を読んで感じていたことなのだけど、プロフェッショナルと呼ばれる人たちは、その行動や意志に迷いが全く無い!
「何でこの人たちはこんなにも意志がブレないのか!?」
「素晴らしい経営者の人たちは取捨選択の判断基準が明確!どうやったらそうなれるんだろう?」
そんな人達に出会うと感動と共に、なぜそうなのか常々疑問を感じていた。
昨日紹介した漫画「栄光なき天才たち」の偉人たちもそうだけど、本当にプロの人たちは迷いが無いッ。
プロとまでいかなくても、この人安定感があるなって感じる人や、ふわふわしていない印象を受ける人達は、大体がこの自分独自の「審美眼」を持っている。
例えば、家族のいるビジネスマンや経営者の方は「審美眼」が明確だと最近は強く感じる。
仕事がいくら大変でも、しっかりと家族との時間を作っている経営者やビジネスマンは多い。
きっと彼らにとっての「審美眼」は、「家族を大切にすること」が美しいことであって、「家族を蔑ろにする」生き方は美しくないのだろう。
そういった「審美眼」を持っているからこそ、仕事にも責任を持って取り組む為、高みに上がっていくのではないか。


▼審美眼を培う為にはひたすら勉強!
恥ずかしながら、自分はまだ「審美眼」を持ち合わせていない。
なんとなくはあるが、前述した方々のような明確なものではない。


では、どうやったら自分独自の「審美眼」を持てるようになるのか?
荒木先生は、インタビューの中で「勉強は審美眼を培うためにある」とおっしゃっていました。
自分の行動や、物事を判断するための「審美眼」を磨くために勉強して欲しいと。
ここで荒木先生のおっしゃっている勉強とは、何も学問だけではないと感じています。
興味がある分野を掘り下げていくこと。
疑問に思ったことを調べたり、追求していくこと。
そういったことの積み重ねが「審美眼」を磨いていくのではないでしょうか。
「審美眼」は誰もが持っているもので、
それを磨くか磨かないかで輝きが違うのではないかと思うんですよね。


自分も自分自身の「審美眼」を日々磨いて、プロの方々のような迷いの無い意志を持てるようになりますッ!


かしこまり

知られざる名作漫画『栄光なき天才たち』


ここ1年間で新しく読んだ漫画の中で、個人的にNO,1の漫画がある!
その漫画の名は「栄光なき天才たち」だ。
どんな漫画かというと、実話を元にした偉人伝。
しかし、しかし、ただの偉人伝ではありません!
「栄光なき天才たち」はその名の通り、様々な理由から歴史の影に埋もれてしまった人たちを取り上げている漫画で、通常の偉人伝とは異なった作品なのですッ!!
既に絶版になっているので、中古でしか手に入れることが出来ず、中々お目にかかることができない漫画です。しかし、是非読んで貰いたいと思えるほど、本当に素晴らしい漫画なのです!

▼25年経っても評価され続ける隠れた名作コミック
「栄光なき天才たち」は、1986年から1992年まで週刊ヤングジャンプで連載されていた漫画です。
単行本は全17巻(自分は未だに3分の1しか集められていません(涙))。
続編として、『新・栄光なき天才たち』があり、さらに2009年に『栄光なき天才たち2009』が、2010年には『栄光なき天才たち2010』が連載。
25年以上も前の漫画ですが、読者からの要望も強いようで、少しずつ連載が続いているようです。

原作者の伊藤さんは、現在、千葉大学人工システム科学専攻教授を勤める程のバリバリの科学者。その為、漫画の中で取り上げられている天才たちも理系の方が多く、それがこの漫画をより一層面白い漫画にしています。

自分が特に好きなのが、ファンの間でも人気が高いのが8巻の「宇宙を夢みた男たち」。
この巻では、アポロ11号が月に行くまでの歴史が描かれています。
早すぎた天才と呼ばれるロケット工学の礎を築いたロシアのツィオルコフスキーから始まり、人類史上初めて液体燃料ロケットの打ち上げを成功させたアメリカのゴダード。フォン・ブラウンの師であるオーベルトまで。
ロケット工学が学問として誕生した瞬間から、第二次世界大戦時の時代背景、そして有人宇宙飛行計画が何代もの天才たちの志によって実現したモノだという事を知ることができます。

もうね、感動ですよ、感動!
アマゾンのレビューを見ていただければ、どんなにこの漫画の評価が高いか分かると思います。

この巻は復刻版も出ており、アニメ化されているほどです。
是非一読をオススメします。損はさせません!


▼天才たちの物語は、嫌いな分野のことでも人の心を感動させた!
自分はスポーツが超がつくほど苦手です。
その為、スポーツには全くと言っても良いほど興味がなく、スポーツ漫画も殆ど読んでいません。
しかしながら、そんな自分でもこの「栄光なき天才たち」で紹介されているスポーツ選手のストーリーには心が動かされました。

巨人の伝説の投手 沢村 栄治。沢村の背番号14番は日本プロ野球史上初の永久欠番に指定されているのですが、その理由もこの漫画を読めば納得がいくほど良くわかります。
読んでいて自分も球場で応援しているような錯覚に陥ったほど、世界に入り込みました。

東京オリンピックで活躍した、伝説のマラソンランナー 円谷 幸吉。
彼の生涯の物語を通じて、自分は走ることの素晴らしさを知ることが出来ました。


▼人生ほど面白い物語はない!
この漫画からは本当に深い、人生の本質のようなモノを学べる気がします。
その中で自分が感じたことは「人生ほど面白い物語はないんじゃないか」ということです。
当たり前のことですが、心からそう感じさせてくれます。

この漫画で紹介されている天才たちは、様々な理由で日の目を浴びなかった天才たちです。

「才能が必ずしも人を幸福にはしない」という、ある種の厳しさや切なさを教えてくれるだけでなく、 
それでも彼等は輝いていたんだよッ!と教えてくれる。

そんな希望を与えてくれる漫画です。

こういった漫画を読むと、自分の人生にも力が入るってもんです☆
みなさん、是非ご一読を・・・


かしこまり

2011年5月4日水曜日

コミックマーケットとソーシャルメディアの意外な共通点 ~主客一体の価値観~



昨日は、コミックマーケットの創立の一人、米沢嘉博さんの米沢嘉博記念図書館に行ってきました。

米沢さんはコミックマーケットの創立メンバーの一人であり、現在ではかなり有名なコミックマーケットの理念を形作った方として有名です。
漫画の単行本から雑誌、アニメ雑誌や設定資料、また米沢さんは漫画評論家としても活躍されていたので、数々の著書を出されており、それらの膨大な蔵書を読んでいるとあっという間に時間が過ぎてしまう環境でした。
自分の様な人間にはたまらない環境で、ちょくちょく通おうかと思っています♪

その中で、「マンガ・アニメ・ゲーム・フィギュアの博物館学」という本の中に、コミックマーケットの理念や目的が書かれていて、それを読んで感動しました。
コミックマーケットの理念や目的については、こちらのブログで詳しく紹介されています。
コミックマーケットの「理念と目的」


▼全ての人が参加者であり、参加者全員は全て平等
自分はコミケに参加したことが一回しかありませんが、理念を持って運営されていることを本を読んで知り、驚きました。
企業運営もそうですが、理念がないと継続性がないのは当たり前のことで、コミケもここまで継続して大規模な即売会になっている根本には、この理念があったからなのではないかと思いました。

読みこんで行くと、かなり熟考して理念、行動指針が書かれていることがわかります。

中でも、個人的に刺さったのは以下の3つ!
・「出会いの場を提供し、・・・コミュニケーションの場・・・としての意味も同時に持つことでしょう」
・「コミケットをとり行うのは全ての参加者であるというのが基本であり、参加者全員は全て平等であらねばなりません。」
・「コミケットという場をより可能性のある物にしていく為に、参加者は全員、場を維持していく立場で参加してもらう事になります」

この3つの理念を読んだ時に感じたことは、「コレってソーシャルメディアにも言えることなんじゃないか!?」ってことでした。


▼ソーシャルメディアは「個」の時代の始まり。全員が参加者!
最近話題のソーシャルメディア、すっかり聞きなれてきました。

このソーシャルメディアは「個人」がもの凄くフォーカスされるツールであり、
「個人」が参加者にも傍観者にもなれることが凄いのではないかと思う。

今までは「マス」の時代だったので、「個人」の力は弱かったし、「個人」が参加者となれる機会が少なかった。
しかし、ソーシャルメディアはそれを可能にした。
だからこそ、どんどん広まっているのではないか。

誰もがソーシャルメディアを使っていくと、今度はそこに一種のモラルや理念が生まれてくる。
現在、自分がtwitterやfacebook等のソーシャルメディアを使って感じていることは、
①ソーシャルメディアは出会いの場、コミュニケーションの場であり、
②ソーシャルメディアは全員が参加者であるということ。
③ソーシャルメディアの参加者は全員、場を維持していく立場で参加していること。
といった理念のようなもの。
本当にコミックマーケットの理念と同じことを感じています。

①の「出会いの場、コミュニケーションの場」というのは説明の必要がないくらい、ソーシャルメディアを活用している人達には当たり前になっている。
自分もtwitter経由で何人もの人と知り合うことが出来たし、知人や友人とのコミュニケーションはより活発になった。
②については、twitterを情報収集の為だけに使っている人もいますが、リツイートをしたり、他の人のを見ているうちに自分が情報発信者側になっている人も結構しっています。
③については、現時点でtwitterはかなりモラルがある環境だと思っています。ガセやデマが流れてもすぐに発見され、修正される。これは他のソーシャルメディアにも言えることだと思うのですが、これは正に、参加者が全員が場を維持していく立場で参加しているからではないでしょうか。


▼これからの時代は「主客一体」の価値観を頂いて生きる
「個」の時代ということは、いつでも自分が「主役」になる可能性があり、「客」になる可能性もあります。
そんな時代に重要になってくる価値観は「主客一体」という価値観なのではないかと考えています。

主客一体とは、
禅に由来する言葉・価値観で、客のおもてなしというのは招く主が一方的に行うものではなく、招く側(主)と招かれる客が協力し、ともに一体となって作り上げるものであるという価値観です。
そこでは主と客の間に、その場で生み出される何か(ソーシャルメディアで言えば情報、コミケでは創作物)に対する共感がなくてはならない。
お互いが共鳴しあってこそ、主と客がおもてなしの場を共有し、一体感を感じ、すばらしい芸術を生み出すことが出来る。
※参考文献:キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

ソーシャルメディアは、自分が「主」であることもあれば「客」であることもあり、それは頻繁に変わります。
とあるコミュニティでは自分が「主」であるのに、別のコミュニティでは「客」となる。
属するコミュニティによって自分の立場が変わることが日常茶飯事です。

だからこそ、常にこの「主客一体」と価値観が必要なのではないでしょうか。
自分が「主」であるときも、「客」であるときも、「主客一体」の価値観の上で行動をしていたら、どのコミュニティでも素晴らしいモノが生まれるはずなのです。

自分の様な人間は、たまに客であることを良い事に調子に乗ってしまうことがありますが(ダメですいません)、そうではなく「主客一体」の価値観を常に意識して行動していきたいと思います。


かしこまり

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)