確かであると信じること。
自分は過去にこの「確信」を持って行動が出来ていた時期が何度かあるのですが、
なぜ「確信」を持って行動が出来ていたのだろう?
逆に「確信」を持って行動が出来ていない時期ってどんな時だろう?ってふと考えました。
▼苦しんだ結果が「確信」に変わる。
そもそもこれってもの凄く自己中心的な考え方の典型なので、誰かに証明して貰うことが不可能な概念だと思います。
しかしながら、「確信」があると、自分の行動に勢いがつき、人生にドライブが掛かります。
自分の場合は「自分が登っている山はこの山で良いんだッ!」といった、行動に対して「確信」を持つことが多かったです。
では、なぜ何かに対して「確信」を持つことが出来るのか。
それは「確信」を持てない時にもがいて、もがいて、もがき苦しんだ結果、
苦しみが「確信」へと変わるのではないかと思うのです。
そう、「確信」を持つ為には、何かに対して真摯にぶつかって行動していかなければいけません。
その為には、大量行動の法則にのっとって、たくさん行動しまくることが一番です。
営業で数字が上がらない時。
そんな時こそ行動をしまくって、もがき苦しんだ結果、勝ちパターンが見えてきて、それを継続し、成果が上がれば、その行動が勝ちパターンだと「確信」が持てます。
仕事が嫌になった時や自分の人生に悩んでいる時も、
まずは色んな本を読みまくったり、目上の方々の話を聞きまくったりすることで、
自分の今後の歩むべき道に対して「確信」を持つことができます。
屈まないとジャンプできないのと同様に、「確信」を持つ為にはもがき苦しむ時期が必要なんですね。
▼「確信」を持てない時は、安定思考になっている。
一方で、そんなことを感じていない時期もありました。
もがき苦しんでもいない。かといって、自分の行動に「確信」がある訳でもない。
そんな時のことを改めて振り返ってみると、「安定思考」になっていた。
この一言に尽きると思います。
別に安定が悪いと言いたい訳ではないのですが、少なくとも自分の場合はまだ安定を求めるには早すぎると考えています。
自分の行動に「確信」を持てない時は何かがある。
それは「安定思考」に頭が切り替わってしまっている兆候だと、自分の場合は考えられます。
頭の片隅に「安定を求めている自分」がいることを自覚することは非常に重要。
そこが見えれば、後は対策を考えておくだけです。
そんな風に自己分析をしながら、今日も一日一日頑張って行動して参ります。
かしこまり